賢者の贈り物

言わずもがな、O. Henryの代表作ですね。原著を読んだことなくても、あらすじは知ってる、という人も多いのでは。

若い夫婦がお互いに贈り物をするのだが、それを手に入れるために自分の大切なものを売り払ってしまった。その結果、互いの贈り物はムダになってしまう。しかし、それ以上のかけがえのないものを与えあえたのだった…というアレですな。

クリスチャンらしい美徳にあふれた物語です。まぁ、正直幼心にはサッパリ響かなかったのですが(苦笑)。

 

さて。ジムとデラのようにドラマチックでなくとも、我々の日常にも時々賢者から贈り物が届きます。そして、その賢者はだいたい「ふつうの人(not 専門家)」だったりします。

最近も、友人の何気ない一言に目からウロコなことがつづきました。

介護されるためのカラダづくり、であったり、サステナビリティ=究極の合理性、であったり。(ちなみに私の中でサステナビリティは、「ひとつでも笑顔を増やすこと」である。これについてもいずれ)

 

「ふつう」に否定的な人が多い気がしますが、それ、もったいないですよ。だいいち、ふつう(中庸)が一番むずかしいし、貴重だと思うけどなぁ。

まぁ、ふつうかそうじゃないかとか、グルーピング自体がどうでもいいかもね。